日本の代表的な食材のひとつ「のり」。
いつから食べられ、どんなことがあったのか、その歴史を知ればもっと味わい深いものになること間違いなしです。

のりの歴史は古く、日本で最初の法律書である『大宝律令』(701年)には、朝廷への年貢として海草類があげられており、そのなかでものりは高級品だったといわれています。

平安中期の法典『延喜式』(927年)によると、租税の対象にのりが定められています。このことから、のりは貴族の口にしか入らない貴重品であったことがわかります。

江戸時代、のりが好きだった徳川家康に新鮮なのりを献上するため、品川・大森を中心とする東京湾でのりの養殖が始まりました。その後、幕府は献上されたのりを市場で売り、財源としたそうです。これをきっかけに、のりは江戸の特産品として庶民にも親しまれるようになりました。

江戸時代中期になると、すのこですく四角い板海苔が登場します。さまざまな具を入れてごはんを巻く「のり巻き」が庶民の間で大流行し、屋台ずしと呼ばれる店も登場。江戸っ子たちは、手軽な食べ物としてのり巻きを食べていたようです。

イギリスのドゥルー女史がのりの糸状体を発見したのは昭和24年(1949年)のこと。それに基づいて、それまで不明だったのりのライフサイクルが解明されてのり養殖の技術は革新的な発達をしました。それにより年々生産量が増加し安定した生産ができるようになりました。
昔からのりは食卓に欠かせない食品として親しまれ、周辺を海で囲まれている日本では多くの場所で養殖が行われて収穫されています。豊かな味と風味は、まさに海からのおいしい恵みです。


















かき殻にのりの種子(果胞子)をつけ培養(3月〜9月)します。
あみに種をつけて芽が出た網を海にはって養殖をします。順調に育つように1枚づつに広げて、養殖漁場いっぱいに広げます。
のりは日中の太陽光線を受けて、濃い赤味を帯びアミノ酸をたくさん含んだ軟らかくて甘みのある海苔に育ちます。
海苔芽が15cm〜20cmに育ったら収穫をします。昔は手作業で重労働でしたが、現在では機械でのり摘み作業が行われます。
摘んだ海苔は、大型の海苔製造機械(全自動海苔乾燥機)で、細断、すく、乾燥して、乾しのりに製造します。
検査場では、1束100枚として持ち込まれたのりの検査が行なわれ、品質による格付を行い、その地域の海苔共同販売場に出荷されます。
共同販売場には、その地域の共同販売(入札会)に参加できる資格を持った問屋さん、加工屋さんなどが参加し、必要な海苔の品定めをして、競争入札による買付が行なわれます。
入札したのりは二次乾燥され、焼きのり、味付のりなどに加工され容量・安全性を確認後、スーパーや小売店に出荷され、私たちの食卓に並びます。





